2012-02-18

なぜアメリカは自国の著作権法を世界に押し付けようとしているのか

最近、アメリカが自国の著作権法を世界に押し付けようとやっきになっている。何故だろうかと考えてみたところ、その理由が分かった。このままでは、アメリカの一人負けになってしまうからだ。

疑問は、チャップリンから始まった。チャップリンの後期の作品のいくつかは、まだ日本国内でも保護されているらしい。これには、様々な要素が関わってくる。主な理由としては、旧法と現行法で保護期間の長いほうが優先されるということと、チャップリンの作品はチャップリン個人の著作であるということと、戦時加算らしい。

しかし、チャップリンの多くの作品の著作権は、作品が発表された国、米国内ではすでに消失しているはずではなかったか。ベルヌ条約の相互主義はどうなったのか。短いほうが適用されるはずではないのか。この疑問を解消しようと調べたところ、これが厄介なのである。

アメリカはベルヌ条約の加盟に手こずった国である。何しろ、アメリカの著作権法とベルヌ条約は互換性がない上、法律を大幅に改正する気もなかったからだ。そのために、別の条約、万国著作権条約が作られた。その後、アメリカもベルヌ条約に加盟した。問題は、ベルヌ条約の条文には、アメリカ国内では法による制定がない限りベルヌ条約が適用されないという文面があるのだ。だから、アメリカ国内では、対応する国内法を制定しない限り、ベルヌ条約は効力を持たない。もちろん、これはアメリカ国外には関係がない。両国がベルヌ条約や万国著作権条約に加盟している限り、米国内で発行された著作物は、国外では条約に従う。

しかし、アメリカの条約加盟前に発表された作品では、そもそも条約がなかったのだから、条約の効力は及ばない。つまり、万国著作権条約加入前の1956年4月28日以前のアメリカの作品には、日本で相互主義は適用されないのである。しかし、それ以降には、相互主義が適用される。チャップリンの著作権問題とは、要するにこういう法の合間を利用した問題だったのだろう。しかし、映画がチャップリン個人の作品というのには、未だに疑問だが。

しかし、アメリカ国内では、未だに相互主義を採用していない。

これは、アメリカの昔の作品を保護するには、とても便利なのだが、今の作品を保護するには、どうも不利であるように思う。

今、ある団体もしくは企業が映画以外の著作物を発表したならば、その保護期間は、日本国内では発表後50年である。これは、著作物の発表が日本であろうとアメリカであろうと同じだ。日本国内では50年だ。しかし、アメリカでは公表後95年もしくは創作後120年のうちのどちらか短い方が適用される。

つまり、アメリカが相互主義を採用していないがために、日本国内で発表された著作物の著作権が、50年たって日本国内で消失したとしても、米国内では依然として保護される。にもかかわらず、米国内で発表された著作物は、50年経てば日本国内では消失している。映画でも、日本の70年に対し、アメリカは95年だ(映画の創作に25年以上かかることはあるまい)。これは、日本とアメリカはベルヌ条約と万国著作権条約に署名しているので、ベルヌ条約に変な例外のない日本では相互主義が働くが、アメリカ国内では国内法による定めがないために相互主義が働かないためである。

なるほど、ベルヌ条約の相互主義を勘違いしているアメリカ人とよく出会うのは、このためだったのか。そりゃ、アメリカ国内からみれば、相互主義は自国の長い保護期間を優先するようにみえる。実際は、そもそもアメリカ国内では相互主義が働かないだけなのに。

このまま現状を放置すると、今の著作権が消失し始める頃、アメリカ合衆国とそれ以外のほとんどの国で、非常にアメリカ側に不利な保護期間の差がでてくる。

アメリカがACTAやTPPのような条約を猛烈にプッシュして、アメリカ国内の腐った著作権法を世界に押し付けようとしているのは、こういう理由もあるのかもしれぬ。しかし、これはアメリカの自業自得ではないか。アメリカが本当に行うべきなのは、国内法を改正してベルヌ条約の相互主義を取り入れることだ。そうしなければ、相互主義が相互にならず、外国のみに適用されるので、アメリカにとって不平等条約になってしまうからだ。しかし何故かアメリカは、そういう本来ベルヌ条約加盟の際におこなっておくべきことはいつまでたってもやらず、不平等な国内法を改正せず、自国の著作権法を他国にも押し付けようとしている。

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