2009-06-04

中島敦はどうやってあんな美文を書くことが出来たのだろう

アペママの独裁者テムビノクは今、どうしているかと思う。王冠の代りにヘルメット帽をかぶり、スカアトの様な短袴を着け、欧羅巴式の脚絆を巻いた、この南海のグスターフ・アドルフは大変に珍しいもの好きで、赤道直下の彼の倉庫にはストーヴがしこたま買込まれていた。彼は白人を三通りに区別していた。「余を少しく欺した者」「余を相当に欺した者」「余を余りにも酷く欺した者」。私の帆船が彼の島を立去る時、豪毅朴直な此の独裁者は、殆ど涙を浮かべて、「彼を少しも欺さなかった」私の為に、訣別の歌をうたった。彼は其の島で唯一人の吟遊詩人でもあったのだから。

中島敦著、光と風と夢

私は告白する。私は中島敦の美文を、さらに引用しようとして、思いとどまった。中島敦の文章は、いうまでもなく、すべてすばらしいので、美文のみ引用するというのは、畢竟、中島敦の全著作を引用するのに他ならぬのだから。

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