2013-09-26

どこまで行けば人間ではなくなるのか

歯医者で、5年前に根管治療をしたところを、再び掘り返して再治療している。ひどく痛む。出された痛み止めを飲んだが、なかなか効かない。痛みを紛らわすために、駄文を書くことにする。

人間と非人間の境目について考えている。

人間はすでに、様々な方法で肉体に非人間的な拡張を施している。たとえば、メガネは視力を補強し、義歯は失われた歯を補強する。また、腕時計は人間に正確な時間感覚を与えてくれる。

このような拡張を施すと、もはや人間ではなくなるのだろうか。また、たとえ人間であるとしても、以前の人格とは異なる知的存在になるのだろうか。ここまでの拡張で、人間が人間ではなくなると主張する者はいない。

では、失われた手足のかわりに義肢を装着したら、人間ではなくなるのだろうか。その義肢が生身の人間以上の性能を持ち、素手でコンクリートを粉砕し、時速40kmで走れるようになったとしても、やはりまだ人間で、もとの人間とかわりはない。ただ、機能が向上しただけだ。

心臓の脈拍を正常に保つため、心臓に定期的な電気刺激を与えるペースメーカーと呼ばれる機械を埋め込み、睡眠時に気道が塞がることを防ぐために、鼻からチューブで空気を送り込む装置を装着したら、人間ではなくなるのだろうか。まだ人間だ。

では、脳の欠損の一部を、元のニューロン結合をそっくりそのままコピーした機械で置き換えたら、それは人間だろうか。人間であることは認めるとしても、元の人格だろうか。その存在は、元の人格であると言い張り、元の人間の記憶を語り出すのだが。

ワープ装置は、SFでおなじみだ。よくある説明に、ワープ装置は、転送する物体の原子ひとつひとつを破壊スキャンして、情報として送り、再構築するのだという。さて、そのようにして再構築された人間は、記憶、人格、昔の傷跡まで、そっくりそのままだが、果たして元の人間だろうか。また、ワープ装置に入るという事は、自殺なのだろうか。

たとえ原子単位で元通りに再構築したとしても、元の原子とは違うのだから、別物だとする考えがあるかもしれない。しかし、我々の体は、原子単位では、常に変化している。人間は半年もすれば、原子単位ではすっかり別物だ。しかし、我々は、半年経過した人間も、同じ人間として扱っているではないか。

脳のニューロンの結合をスキャンして、完全にソフトウェアで動作をエミュレートしたとする。この知的存在は、エミュレーションが始まるや、興奮した様子で、こう語る。「こいつはすげぇ。本当に動いた。さっきスキャナに入ったと思ったら、もうここにいた。おいみてくれよ。おれは本当にコンピューターの中にいるぜ」と。この知的存在は、人間だろうか。ただ、我々が彼を人間だと認めないと、この知的存在は、ひどく気分を害するのだが。

我々が人間と非人間の境目が曖昧になる知的存在となる日はやってくるのだろうか。

と、この辺まで書いたところで、痛み止めが少し効いてきたので、終わる。

3 comments:

Anonymous said...

解釈のわかれるところですが、知性こそ個性だと思います。
個性が備わっていれば大体、人であると呼べるのでは無いでしょうかね。

それと、人が感じる人らしさから導き出される感覚にマッチしていれば大体、人なんじゃなですかね?

すごい曖昧ですね・・・。

Anonymous said...

根尖性歯周炎ですね。1度目の根幹治療の成功率は90%と
一般的に言われていますが、日本では実際60%くらいです。
感染した部分をファイルと呼ばれる器具で除去し、次亜塩素酸で殺菌し、
歯科医師のポリシーによってはさらにFCと呼ばれる薬剤をつめます。
2度目の根幹治療の成功率は極めて低いので抜歯の覚悟が必要です。

実際どこが感染しているのかは分からないため、ファイルでの処置は
勘頼みです。保険診療を行っていない歯科医院では実体顕微鏡を使うところもありますが
それでも感染している部分はわかりません。削り過ぎていないかどうかは見えることもあるため
誤って穿孔させてしまうことを防ぐことには役立ちますが、大体1本の治療が15万円からです。

Unknown said...

きもすぎて鳥肌たったわ…誰でも分かるようなことを俺頭いいみたいな感じで書きやがって歯がどうこういってかっこつけてるあたりから気に食わんわ。嘘っぽいし
評論分とか読んでかっこいいとか思ったんだろ